昭和40年11月12日 夜の御理解
今日、金光青年の、雑誌がまいりましたが、私見せていただいておったんです。そしたら、三代金光様の事が載っておった。大祭のとき、御祝詞ができるですね。それはやはり、誰か偉い先生方が、それをあの、寄贈されるんですね。書かれる。それもやっぱりみんなできて、教団の教主様がお上げになるにふさわしい、祝詞が、お書きになる。そしてその金光様に、丁度あの、お祭りの十日前に、お差し出しになるそうです。すと金光様はですね、毎日毎日それを、あの、お引けになってお帰りになると、声を出してもう繰り返し繰り返しお読みになるそうです。そしてなら霊祭が、4日間なら4日間ありますとですね、もう例えば、第1次第2次っていうてお祭りがありましても、さいごまでやっぱりお読みになるそうです。そらもう金光様の心は、私どもには分からんといたしましても、その、内容をご自分のものに、なさりたという、気持だろうと言うて、書いてございましたですね。自分のものにするということですね。金光様の実意丁寧な、御信心のお姿であり御内容であるてうのは、そういうとこに現れとると思うですね。もう御自分のものになさる為に、それをもう繰り返し繰り返し、しかもお声を出して、お読みになる。しかもお祭りは半ばになっとっても、もうその、これでいいということはない、やっぱ最後まで、お読みになるということです。私どもほんとに、信心をですね、例えばご理解ならご理解を頂かせていただいて、ほんとに今日のご理解を繰り返し繰り返し、心の中にでも、頂かせてもろうて、また、晩休ませていただく前には、今日はこんなご理解じゃった、なら家族の者と、繰り返しお話ができるようになられたら、それを、それを自分のものにする為に、そういうふうにおかげ頂いたらいいだろうと思うですね。確かに、頂くときには頂いてからやっぱ合点しながら頂きよった。ところが帰りには、えーっと今日の御理解はどげなご理解じゃったかと言うなことになってしまってですね、( ? )ご理解頂いたことがあるというような、その努力をしないですね、自分のものにする為の、努力をしないですね。ほんとにあの勿体ない話だと。金光様の信心はそうだと。ね、私どもは、はーほんとに今日の御理解はほんとに身に(つくっかった?)と言うてその、喜んで帰る人がおるんです。ほんとに身についておるが、つくごったっただけだけついちゃ。ね、帰ってから、ならそれを話そうと言うても話が出来ない。だから、そのほんとに今日のご理解は、ここだった、というようなところだけの人も頂いて帰ってですね、それを繰り返し心の中に繰り返させていただけれる。しかも、これを言葉に出して、なら、その、その日お参りできなかった家族の者にでも、伝えさせていただくと言うようなですね。また仕事の、一服、合間にでもです、昨日こう言うご理解じゃったと。今朝はこう言う御理解じゃった、というふうにです、そういうようなものが、私は欠けておるんだと、そういうことが、まず第一実意丁寧を欠いておると思うですね、私どもは。
先ほど、夕食を終わらせて、頂いておりましたら、(まんと?)から、村上さんがお参りしてみえておった。なったらもう、それだけでからおかげ頂きました、( ? )ち言われるですもん。はーあんた熊本から何時間かかって参ってきてから、そのもう来たもう帰るって、もうちょっと居んなさいち、こっち入りなさい、って言うてまあ、中に障子入れて、たんですけれどもね。あの、ひろこさんの、まあ言うなら、バックのような信心をなさっておられる方です。( ? )先生達が、従兄弟になりますですかね。非常にあの、(たいかの、たいきんまれた?)人です。現在お父さんは、大変な、熊本きっての事業家らしいですもんね。ほんで、非常に熱心に、非常にこの、霊脳関係が、はげしいんですね。もうひろこさんが、ああいうふうに育てられたっていうのは、村上さんが育てられた、て言うてもいいくらいです。だからもうひろこさんが頂いたことは、もう、村上さんが頂いてある。また頂けれるならそれを頂いて、一つの答えが出なければ、人には伝えん、というくらいに真剣になってるわけなんですね。それが今日、そのお父さんになる方が、急になら仕事が無くなったっちいうわけですね。それでもう一生懸命その事を、神様にお願いさせていただいておったら、そのまあ、急にまた良くなっておかげ頂かれたとこう言うわけなんですね。( ? )ところの、今日その可愛がっておられる猫が、急に猫が亡くなったちいうわけですね。それで、神様にお願いさせていただきよったら、さあ行け、もう、すぐ行け、と言うてそのお礼参りを言われるそうです、神様が。ほんでもう、その、(なん、とるのにもとりあえず?)お参りをしてきて、今日朝の、3時半か4時かに、発ってからみえておられるわけですね。そしてもう、お礼だけさせていただいてから、その、帰ろうとされる。もうその、お礼にでたと言うことが有難い、ここへ、お広前、座らせていただいた途端にバーっと前方が海になってですね、波がずーっと打ち寄せてきておる、その波に自分が乗って、ここへ座っておるところを御心眼に頂いて、もう、感激いっぱいにその、自分がお参りしたのではない、神様からお引き寄せいただいた、神様に( ? )乗せられてから、今日はお参りができたんだと言うて喜んでおられるんですね。私はせっかく来たから( ? 。)大体どっちかっちゅうと、非常にその、まあ淡々とした人ですから、まあ、急いでご飯でも頂くようなこつは、もうほんとに、それこそ、何でしょうか、その、神様のものを頂いていくというような、淡々とした人なんですが、今日はもう何にも言いなさらんですね。だけんもう、久留米で頂いてきましたとか、何とか言うてその、いろいろだされんのんですよ。それで私が、あの、今日は( ? )ですがって、だからお茶漬け( ? )一杯頂きなさい、って言うたらもう、感激一杯してですね、そんなら、(うまれてはいってまいります?)て言うてから頂かれるです。そしてやっぱり先生あなたは神様ですなあ、っち言うてから感激されるんです。今のがそんなに私は神様です、って言われるかって言うと、今朝から、熱いご飯を頂くな、って頂いとったって。だからここに夕ご飯、熱いご飯でもでたらあれよあれよなるからと言うてですね、あの、( ? )お茶漬け一杯出すけん頂いていきなさい、って言われた時にです、なるほどここの先生は神様だと私は思うた、と言うてその、感激して帰られました。頂いて。そして、何時までに帰ると言うて、出られたら、( ? )それに乗って、すぐ帰られたんですけれどもね。私ども思うんですがね、その、神様をこの、直に頂くと言うかね、言わば信心を自分のものにすると言うか、ね、こうしなければ分からない、(おれんのだな、おれんのだな?)とこう思うとるのだけれども、それは思うとるだけであって、そこが( ? )です。ね、ほんとに、やはり神様から頂いておるならばです、そういうおかげを頂いたらすぐ、ただ神様から言われんでも、さあもう、お礼に出らせて頂くわけなんでしょうけれども、それだけの実意を欠いておると言うことになる。けれども、まあ、そのそういう神様からお知らせを頂かれる、たら、そのおかげを頂いておられるです。ね、ですからどうしても私は、その、神様をその、いよいよ、身近にって言うか、ね、ほんとにこう接すれば、その神様が、こう暖かいものが、こちらに通うてくるようなものをです、頂く為にも、私は椛目の、皆さん、ご理解をです、ね、繰り返し繰り返し身近に頂かせてもろうて、自分のものにすることに努めなければいけない。ね、ですから、神様から直接そうしたお知らせを頂きますとですたい、そういう( ? )、神様を身近に感じることが出来る、頂くことが出来るわけなんです。ま、結局どちらにいたしましても、神様をもっと、身近に頂かなければいけない。しかも、実意丁寧の限りをつくさせてもろうて、その自分のものに、させていただこう、よしなら熊本からでも、お礼参りさせていただかにゃならんと思うたらお礼参りさせていただくということは、信心なんだ。ね、今日のご理解がほんとに有難かったから、このご理解を自分のものにさせていただこう、この信心を私のものにさせていただこうと思うならです、それをやはり、自分の心の中に繰り返し、言葉にも出して繰り返し、人にもついて学ぶ、自分も繰り返し自分の心の中に頂くくらいな、私信心の稽古をなさらなければ、神様、いや信心がいつまでも自分のものにならん。ね、もう一つ、せっかく、おかげを頂くのでございますから、ね、やっぱり信心が自分のものになっていかなければ、私は、意味がない。ね、それこそ、ただ、あー、耳が肥えただけではいかんのです。
だんだんおかげ頂いてまいりますと、お話どきから、その頂いてですね、自分に( ? )それを、この、自分のもう分かったように思ったり、しておるような場合があるんですね。分かりもせんなりその、言うて、相手を、に不快な思いをさせたり、困らせたりするようなことがあるんですね、自分のものにしていればです、相手にもそれが伝わる。相手も有難いと思うのでしょうけれどね。今日私がお風呂入っとったら栄四郎が例によって入ってきた。してから、お母さんが、その、お父さんの背中流してやれと言うてからと言うて、流させといて、流させるわけですね。そしてその中で話すことがですね、(今日時の話なんですけども?)その、幹三郎の先生が、この頃、結婚さしちゃった。それを聞いとって、それで私も昨日晩かその、会うたらしいですけん、先生結婚おめでとうち言うたげな。そしたら顔ば真っ赤にしてから、だまー言わしゃじゃったげな。ね、こういうことだけは例えば( ? )。例えばんなら今度ん若い人が、先生結婚おめでとうございます、と言うたら、あーほんとに、そりゃ赤うなってもですたい、有難うございますぐらい、返事はくるるですけれども、( ? )しかも自分の先生ではない先生に、幹三郎の先生じゃもん(笑)。僕の先生結婚おめでとうございます、ち言うたら、顔真っ赤にしてだまー言わしゃじゃったげな。自分のものにせんなりですね、それをその、まあ偉そうにその、言うたりしたもんでは相手に、害はない。ほんとに自分のものにしてですね、そのその努力させてもらい、自分のものがその、場合によってその、適当に、( ? )くるような、一つのおかげというものが、頂けるんじゃないかと思うんですね。どうぞ。
2004 7 20 加代太郎